保育園のお迎えの時のこと。
3・4・5歳クラスで、みんながおやつを食べていました。
息子くんが隣の男の子の方に体を向けて、足をその子の足に伸ばしてあてていました。
蹴るというより、足を伸ばすと当たったので、おもしろくなって何回かやったのだろうという様子でした。
すると、その子本人よりも、周りの子たちが一斉に私に言ってきました。
「〇〇くんを蹴ってる」
「謝ったほうがいいよ」
「ごめんねして帰ったほうがいい」
1〜2歳上の子もいて、悪気はまったくない。
ただ、「ちゃんと教えなきゃ」「正しいことをしなきゃ」という、まっすぐな正義感。
遠くの席でよく見えていない子まで言い始めて、“これが幼児の集団か…”と思いました。
この年齢特有の、自分も同じことをするのに、人がやっている時だけ、自分が大人に言われている言葉を、そのまま返しているような感じ。
少し笑ってしまうような、でも少し怖いような。
普段からみんなよく話しかけてくれて、かわいいなと思っている子たちです。
だから、「責められた」「意地悪された」と感じたわけではありません。
むしろ、子どもの社会って、こうやって誰かが「謝ったほうがいいよ」と言うと、
まわりも一緒になって、“正しいこと”を伝えようとするんだな、と。
そんな空気の中で、親はどう立てばいいんだろう、と考えた日でした。
確かに、息子の足は当たっていました。
そもそも、相手に足を向けない。相手が嫌がることはしない。
それは伝えないといけない。
そして、相手の子が嫌な気持ちになったなら、「ごめんね」は必要だと思いました。
でも、3歳の男の子なら、足を伸ばしたら当たった、その反応がおもしろくて、つい繰り返してしまう。
そんな気持ちも、なんとなく分かってしまう。
だから私は、「足を出したこと」そのものを責めるより、「相手の子が嫌な気持ちになったかどうか」を大事にしたいと思いました。
嫌な思いをさせてしまったなら、ちゃんと謝る。
でも、そのことと、「悪い子」と決めつけることは、別だと思う。
みんなに囲まれて、息子くんが“悪い子”みたいな位置に置かれていく。
その流れのまま謝らせるのも違う気がしました。
迎えに来てすぐのことで、私は前後を見ていませんでした。
だから、一応息子に聞いてみました。
「何か嫌なことあった?」
でも、家でもよくあるように、怒られそうになると、後から理由をつけようとする感じがある。
今回は、特に大きな理由はなさそうでした。
たぶん、理由はなくて、足を伸ばしたら当たった。
それがなんとなくおもしろくて、繰り返してしまった。
ただ、それだけだったのだと思います。
だから、
「〇〇くんの顔、笑ってた?」
「足が当たって、嫌な気持ちだったんじゃない?」
「ママも一緒に行くから、ごめんねって言おうか」
そう声をかけて、一緒に謝りに行きました。
相手の子は、「いいよ」と言ってくれて、その場は終わりました。
謝らずに帰るのは違うと思った。
でも、本人に言われたというより、周りの子たちに「謝ったほうがいいよ」と言われて、その流れのまま、私まで息子くんを“悪い子”として扱ってしまうのも違うと思った。
モヤモヤしたのは、「息子くんは悪い子」という空気になっていたこと。
もちろん、相手の子は嫌だったと思うし、「ごめんね」は必要だった。
ただ、今回のことで一番強く思ったのは、こういう場面で、親は咄嗟に対応を求められるんだ、ということ。
周りの子たちが一斉に話しかけてきて、相手の子もいて、息子もいて。
その場で、すぐに判断しなければいけない。
今回は、ギリギリ場面を見ていた。
足が当たっていたことも、その子の様子も、少しだけ見えていた。
だから、「◯◯くんが嫌な気持ちになっているなら、ごめんねしようね」と対応ができた。
でも、これが見えていなかったら。
前後を知らないまま、「〇〇くんがやってた」と言われたら。
先生や他の子の言葉だけで、その場で判断しなければいけなかったら。
私はちゃんとできるだろうか。
つい焦って、「ちゃんと謝りなさい!」と言ってしまうかもしれない。
逆に、自分の子を守りたくて、「そんなことしてないでしょ」と言ってしまうかもしれない。
どちらも、本当は違う気がする。
この先、子どもだけの社会の中で、親がどう関わっていくのかを試される場面は、きっと何度も出てくるんだろうなと思った。
そのたびに、正しい対応が咄嗟にできる自信はない。
「いつか間違えて、子どもを傷つける側に回ってしまうかもしれない」
そんな心配が、たまによぎる。
今回は、たまたまギリギリできた。
でも次もできるかは、正直分からない。

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